概要
このサイトの説明を書こうとしたが、何を書いていいかよくわからなくなり崩壊してたのでChatGPTに要約してもらった。
1999年に設立された「かむながら」は、不登校や生きづらさと向き合うことをテーマにした掲示板としてスタートしました。
仲間と活動していたが、次第に仕事へと重心が移り、コミュニティは形を変えていきました。
2024年、かつての「かむながら」の跡地に新しいサイトを作り、ブログシステムを導入。再び人々が集まり、交流が生まれることを願っています。
このサイトの背景
1999年、インターネットに漂う掲示板として誕生。
不登校というテーマを中心に、生きることが不安だったり、
自分について模索していたり、悲しんでたり、苦しんでたり。
そんな仲間と一緒にインターネットとリアルな世界。
両方をいったりきたりしながら、存在した”かむながら”。
活発でなくなってから、もう何年経つだろう。
そのコミュニティは形を変えながら、今は会社になった。
元々あったコミュニティが一見進化したように聞こえる。
でも、それは違う。
“かむながら”を一言で言うならば。
”松本創”やその仲間、主義主張に興味を持った人たちと、
ゆるく同じ地域に暮らしてみないか?
という看板である。
かむながらの地域性とは
“地域”、”ご近所さん”、昔から人は共存してきた。
今の時代、地域やご近所さんは距離に縛られる必要はない。
なんなら一人でも生きていって、死ぬことはできる。
でも、それがつまらなくて、寂しかったりする。
何かに所属すると、その何かの価値観を押し付けられたり、
自分らしさを抑制される。
それも嫌。
だから昔の僕はここを造った。いろんなメリットがあった。
- 共通の価値観は持たないから束縛がない。
- みんな好きにしている自由がある。
- 人にあんまり干渉しないから楽。
- 正しいことなんてないから受け入れてもらえる。
- こまったら助けてもらえるかもしれないから気が楽。
そして、しばらくの間。
活動した。
日本の各地で、「なんでもない会」と称して、あつまって何もしない会を開いたり。
河原に七輪を持ち出してサンマを焼く会を開いたり。
卓球しながらフェリーに乗って、北海道で温泉に浸かりながら雪合戦をしたり。
20才を過ぎ。
仲間と一緒にずっといるのは難しいと思い始めた。
みんな別々にやることが増える。
どうなったか
コミュニティの運営中心から
”かむながら”からスピンアウトするかのように会社を作り、仕事中心の生活へシフトしていった。
その会社も。
自分らしい会社を造ったと思う。
しかし、気がつけば”かむながら”はドメインを残すだけとなった。
それから
… … 2024年10月14日。
“かむながら”跡地にこのサイトを設置した。
あとはここへ辿り着く人を待つだけ。
で、このサイトは。
“旧かむながら”がまた復活しないかな?と願いを込めて。
ブログシステムを設置。
何をする気か?
結局、仕事もコミュニティも思想も。
全部含めて”松本創”で。
“松本創”に興味をもった?人たちで構成されたのが僕の地域でありコミュニティ。
なのだから、なんでもかんでもここで発信をする気
ま・と・め
- このサイトは”松本創地域”の”かむながら”があったURLに設置されている
- ブログシステムを設置したが方向性は未知
- いつか面白くなるといいなぁ程度のふんわりした意気込み
最後に
- みんな生きてる?